家族教室

2015年度第5回 家族会報/家族教室開催報告

2015年7月5日(日)16:00~ ハートクリニックデイケア

講 師:池沢 佳之(ハートクリニックデイケア/精神保健福祉士)

テーマ:統合失調症と社会復帰

2015年の家族教室は、昨年同様16時より「ご家族の話し合い」、17時よりセミナーという2部構成で行っております。本年第5回セミナーは、「統合失調症と社会復帰」とのテーマで、ハートクリニックデイケアスタッフ(池沢)より、お話をさせていただきました。この紙面では、統合失調症について概観し、リハビリのポイントをご紹介したいと思います。

統合失調症はどんな病気か?

私たちは喜びや怒り、悲しみ、楽しみといったさまざまな感情をもっています。また、「人間は考える葦である」という言葉があるように、私たちは常に思考しています。こうした感情や思考は、脳内の精神機能のネットワークを使って行われています。ところが、何らかの原因でさまざまな情報や刺激に過敏になりすぎてしまうと、脳が対応できなくなり、精神機能のネットワークがうまく働かなくなることがあります。そのため、感情や思考をまとめてあげることができなくなります。この状態が統合失調症です。統合失調症とは、このように脳内の統合する(まとめる)機能が失調している状態をいいます。

統合失調症の症状は大きく、幻覚や妄想などの「陽性症状」、意欲の低下などの「陰性症状」、臨機応変に対応しにくい「認知機能障害」に分けられます。

あるはずのないものが現れる 「陽性症状」

陽性症状は、幻覚や妄想といった、本来あるはずのないものが現れる症状です。統合失調症を特徴づける代表的な症状といえます。

<幻覚>

幻覚は、実際にはないものをあるように感じることです。視覚や聴覚、嗅覚、触覚などさまざまな感覚で現れます。?なかでももっとも多くみられるのが、実在しない人の声が聞こえる幻聴です。その声は、自分に対する悪口や噂であったり、何かの命令であったりします。ときには、テレパシーや電波などの形で感じることもあります。

<妄想>

妄想は、非現実的なことやあり得ないことなどを信じ込むことです。?自分の悪口を言っている、見張られている、だまされているといった被害妄想が代表的です。?周囲の人の言動がすべて自分に向けられたものだと確信する関係妄想、有名スターの子どもであるなどと思い込む誇大妄想などがみられることもあります。

<自我意識の障害>

自分と外の世界との境界がはっきりしなくなって周囲の影響を受けやすくなり、自分の行動や考えを誰かに支配されているように感じるようになります。?自分の考えが他人に知られてしまうと感じる思考伝播、人に考えや衝動を吹き込まれていると感じる思考吹込、考えを他人に吸い取られてしまうと感じる思考奪取などの「させられ思考」や、実際に誰かに操られていると感じる「させられ体験」があります。

<思考の障害>

考えにまとまりがなくなり、一つの話題から全く別の関連性のない話題へ話が飛んだり、つじつまが合わないことを言ったりします。ひどくなると、会話が支離滅裂になり、周囲の人は理解できなくなります。?考えが急に中断されて、突然何も言葉が出てこなくなることもあります。

<行動の異常>

激しく興奮して大声で叫んだり、逆に周囲からの刺激にまったく反応しなくなったりします(緊張病症候群)。?目的のない運動や無意味な言葉を繰り返す常同症や、芝居じみた挨拶や奇妙な身振りをする衒奇症(げんきしょう)、最初にとらされた姿勢をそのまま保ち続けようとするカタレプシーがみられることもあります。

あるはずのものが低下する 「陰性症状」

<感情の鈍麻・平板化>

単なる気分の高揚や落ち込みではなく、感情そのものの表現が乏しくなります。他の人と視線を合わせなくなり、動きのない表情をします。?他の人の気持ちに共感したりすることも少なくなり、外界への関心を失っているようにみえます。

<意欲の減退>

自ら、何らかの目的をもった行動を始めたり、それを根気よく持続することができなくなります。学校の勉強や仕事など何事に対しても意欲や気力がわかず、周りのことに興味や関心を示さなくなります。?集中力も低下し、一度に多くの物事に対処するのが困難になります。

<思考力の低下>

思考力が低下し、会話の量が少なくなります。話しかけても、短くて素っ気ない内容の、途切れとぎれの返事になります。あるいは、まったく答えられないこともあります。

<対人コミュニケーションの支障>

他の人との関わりを避け、自室に引きこもるなどの生活になることがあります。多くの場合、1日何をすることもなくぼんやりと過ごし、社会性が低下します。

日常生活に困難をもたらす 「認知機能障害」

<選択的注意能力の低下>

周囲のさまざまな情報や刺激に対して、取るに足らないものを無視して必要なものだけに注意を集中することができません。例えば会話中に、周囲の動きや物音などにとらわれて、落ち着きがなくなるなどの行動がみられます。

<比較照合能力の低下>

例えば、Aさんがもっている本と同じものをBさんがもっているという理由だけで、AさんをBさんと思い込むというようなことがみられます。これは、ある情報や刺激に対して、過去の記憶の情報に適切に照合することができないために起こるものです。また、細かなことにこだわって全体を把握できなかったり、言葉に隠された意味や比喩などを理解することができなかったりすることがあります。

<概念形成の低下>

さまざまな情報に対して、類似点と相違点を区別して物事をグループに分けて概念化する機能が低下しています。そのため、過去の類似の体験に基づいての対応ができません。例えば、箱は積み上げ、衣類はタンスにしまうといった整理整頓ができなかったり、手順よく料理ができなかったりするなどの不具合が生じます。

統合失調症の経過

次に、統合失調症の経過を見てみましょう。ただし、前提として、統合失調症の症状は人それぞれに異なっており、経過もそれぞれに異なるということを忘れてはいけません。

統合失調症の経過は、およそ「前兆(駆)期」「急性期」「消耗期」「回復期」に分けて考えることができます。「前兆(駆)期」は、まさに病気を本格的に発症しかかっている状態ともいえる時期で、漠然とした不安感や、焦り、不眠などが代表的なご本人の変化です。「急性期」は、急激に症状らしい症状があらわれてくる時期です。この時期の症状は、先に紹介した陽性症状のように、比較的激しい症状によって特徴づけられます。しかし、適切な投薬治療を行うことによって、そう長くは続かないことも特徴で、長くても数週間で収まることがほとんどです。「消耗期」は「急性期」に使い果たしたエネルギーをとにかく充電しようと脳が休息したがる時期で、眠りすぎるほどの睡眠や意欲・根気の低下が顕著です。「回復期」は少しずつ動き出す時期です。陰性症状は抱えながらも、少しずつ、ご本人の行動上にも、変化が現れてきます。統合失調症の方のリハビリテーションでは、ここで、“どう動いていくか”が中心的な課題となります。

社会復帰を考える

では、統合失調症の方の社会復帰という点に目を移してみましょう。

統合失調症の方の社会復帰を考える際、まず、考えなくてはいけないことは、「精神障害」とはそもそもどういったものなのか・・・ということです。つまり、精神障害では、何が障害されているのか、ということです。

「障害」という言葉を辞書で引いてみると、「さまたげ」とか「じゃま」とか、「身体器官に何らかのさわりがあって機能を果たさないこと」といった意味が書かれています。「精神障害」では、一体何がじゃまになっているのでしょう?例えば、患者さんの、陰性症状や寝たきりの状態、引きこもりの状態を考えてみましょう。私たちは、つい、何も考えず、「これこそ障害だ!」と考えてしまいがちですが、本当にそうでしょうか?もし、こうした症状や状態に何も不便を感じなかったり、それ以上のものをご本人が望まなかったとしたら、これを「障害だ」と決めつけるのは間違っているのかもしれません。しかし、こうした症状や状態であるけれども、「社会に出たい」「仕事をしたい」「今とは違う自分の望む生活がしたい」と思ったとしたら、こうした状態はとてもデメリットの多い状態といえます。このとき、はじめて、そうした状態が、その人にとって「障害」であるといえるのかもしれません。ここで言いたいことは、「障害」というものは、安易におしつけられるものではない(=一般論では語れない)、ということです。当たり前ですが、私たち一人一人が送っていたり、望む生活スタイル、価値観は全く異なっており、非常に個別性のあるものです。ですから、一口に「社会復帰」と言っても、その姿はさまざまです。その人の生活の場はどのようなもので、どのような考えを持っているか、ということをよく知ることが、社会復帰やリハビリテーションを考える上で非常に重要であることを、ご本人はもちろん、周囲で支える私たちもよく認識しておく必要があると思います。

また、少し違った視点で「障害」や「リハビリテーション」を考えてみると、外すことのできない「社会」というキーワードが見えてきます。先ほど、例えば、陰性症状や寝たきりや引きこもりの状態であっても、ご本人が不便を感じなかったりそれ以上のものを望まなかったとしたら、それは「障害」とは言えないかもしれない、と述べました。しかし、これは、もし、ご本人の生活が、何にも制約されず、不自由がなく、自分一人だけの世界で生きているとすれば、という、いわば架空の話です。現実的には、私たちは、社会に属していて、自分とは価値観の異なる人々やルールの中で生活を送らなければなりません。こうした現実の中では、当然のことながら、「障害」を感じやすくなります。

そこで、その人の望む生活を目指して行われるリハビリテーションには、常に、この「社会」を意識した取り組みが欠かせない、という大前提が見えてきます。全てのリハビリテーションは、社会的な場面の中で行われるべきものであり(つまり、対人的な場面や大勢の中での流れの中でどのようにその人が活動できるか、という視点に立つ)、限られた空間や専門施設だけでリハビリテーションが完結するものではないのです。例えば、精神科デイケアという施設は、まさに「精神科リハビリテーション」をうたった専門施設です。しかし、デイケアの中だけで行うこと、デイケアの中だけで何かができるようになることを目指しているわけではありません。デイケアを足がかりに、広くその人の生活の場全体をリハビリの場と考えて、実践を行っていく施設です。ただ、もちろん、やみくもに何かをやればいい、ということではなく、順序や戦略を立て、自分の「障害」に合ったやり方かどうかを検証しつつ、進めていくことが大切です。日常の中でのリハビリを考える上で大切なポイントは、(1)苦手なことから考えていく、(2)うまくいったところから考えていく(普段できなかったことができた、というとき、なぜできたのか、普段とどう違ったのか、何があったからできたのか、を検証する)、(3)具合のいいときだけでなく、具合が悪いときもリハビリ的視点を持つ(具合が悪いときは具合がわるいときなりにどう過ごすのか、を考え、試して、検証する)ということです。

さて、こうして見てきたとき、社会復帰というのは何だということができるでしょうか。それは、「社会の中で、ごく当たり前の生活を目指すこと」だということではないでしょうか。私たちは、皆、社会の中でごく当たり前に生活をしています。専門家の専門的な支援ももちろん有効ですが、ご家族それぞれの、「ごく当たり前の生活」も、きっと患者さんの社会復帰への取り組みにかなり役立つのではないでしょうか。ご家族はご家族の健康的な生活を大切にしつつ、ご本人、専門家と協力し合いながら、ご本人の望む生活を少しずつ、目指していきたいものです。